学生時代と治療院業界に入った動機
私が治療院業界に入ったきっかけはスポーツトレーナーになりたかったからです。高校生の頃にトレーナーの存在を知り、いつかはスポーツと関わる仕事がしたいと漠然と思っていました。
学生時代はソフトテニスに夢中で練習に明け暮れる日々を送り、中学時代は毎日、朝5時から練習していました。今思えば、そんな朝早くから弁当を持たせて送り出してくれていた両親には感謝しかありません。おかげで大学へはスポーツ推薦を使って入学することが出来ました。
大学生活も終わり、私はシステムエンジニアとして一般企業で働き始めました。スポーツトレーナーの夢は漠然とあったものの現実的な道を選びました。製造業の在庫管理や会計管理のシステムの設計、開発に携わる仕事でした。しかし、大学ですっかりぬるま湯に浸かっていた私にとって、サラリーマンとして働く事はとても大変でした。社会人としての常識の無さや自分の甘さを痛感しました。そして、勤めて2年が終わる頃には、
このまま一生ここで働いて自分は幸せなのだろうか?
本当にやりたい事を仕事にしたくないか?
そんな事を考え出しました。今となっては自分の未熟さでしかなかったです。しかし、当時の私にはそんな事も分からず会社を辞めてしまいました。結果的に企業で働く事は辞めてしまいましたが当時の先輩方には感謝しています。正直、厳しい言葉を投げかけられた時は精神的にもきつかったですし、言ってくれている意味も分かりませんでした。ただ、随分時間が経って、たくさんの方に物事を教わる中でようやくあの時の事が分かってきました。思い出すと恥ずかしいですしたくさん迷惑をかけた事は申し訳ない気持ちですが、企業での経験が今の自分を作ってくれているなとも感じています。
治療院での下積み
会社を辞めてスポーツトレーナーを目指した私ですが単純にスポーツトレーナーの勉強をしただけでは生活が苦しいという現実も知っていました。そこで整骨院を開業する柔道整復師の免許を取って生計を立てながら、トレーナーという自分の目標に近づくことにしました。それからは柔道整復師の免許を取るために昼は学校で勉強し、朝と晩は整骨院での仕事をする日々が始まります。
初めて勤めた整骨院は典型的な大阪の整骨院でした。先生が10人近くいてベッドも7台並んでいます。医療機械もたくさんあり、電気を当てて、マッサージをしてテーピングをするといった整骨院でした。当時は整骨院が流行る時代でしたので患者さんは毎日100人以上来ていたと思います。そんな中で運良くトレーナー活動もさせてもらいました。ジュニアクラブのサッカーや大学の陸上、テニスなどのトレーナーとして経験を積ませてもらえる機会が増えてきました。当時はマッサージやストレッチ、テーピングを選手に施し意気揚々と自分のやりたい事をやっている充実感に浸っていました。
しかし、事件が起こります。当時、私はジュニアのクラブチームでサッカーのトレーナーをしていました。試合の直前、チームの10番が腰が痛いと言ってきました。10番と言えばチームの中心です。私は何とかしないといけないと考え、テーピングを施しましたが選手の表情は曇っている。苦し紛れに腰部を中心としたマッサージをして選手を励まし試合に送り出しました。しかし、試合が始まって15分。その選手は腰を抱えてピッチにうずくまり立てなくなってしまいました。結果的にチームは負け、最悪の展開でした。私が苦し紛れに行ったマッサージのせいで選手のコンディションは下がり、チームは負けました。完全に私の責任でした。今でも、あの時の立てなくなった選手の姿が目に焼き付き、忘れることが出来ません。当時の私には治療において、何が良くて、何が悪いのかはさっぱり分からなかったのです。
そんな挫折もありながら、3年間の専門学校生活も終わり、無事、国家試験にも合格して晴れて柔道整復師として働き始めました。それからは縁あって、大阪市天王寺区で分院を任されるようになり自分のキャリアを本格的にスタートさせました。しかし、治療の現場に立ってみるとすぐに気付きました。
自分は治せないんだと……。
それどころか患者さんを悪くしている……。
当時の私がやっていたのは電気、マッサージやストレッチ、骨盤矯正などでした。当たり前のように先輩から教わりました。しかし、患者さんは喜んでくれているけど本当は良くなっていない現実を知りました。だから、何か治療を勉強しないといけないと危機感を持っていました。
新しい治療法・仲間との出会い
そんな時にある方から治療のセミナーに行ってみないかと誘われました。それが現在、当院の治療のベースになっている「無痛のゆがみ治し整体」でした。当時の私はとにかく治せる技術を求めていたので藁をもすがる思いでセミナーに参加しました。教えて頂いた技術は素晴らしく、これなら患者さんに自信を持って提供できると確信しました。そして、セミナーでは技術だけでなく人としての在り方や人間性の大切さなどたくさんの事を学びました。人としてあまりにも未熟だった私がセミナーで自分と向き合い、人との関わりや治療家としての心構えなどをたくさんの方に教えて頂いたのは必然だったと感じます。そして、この時出会った仲間とは今でも勉強会を開催し互いに切磋琢磨しあえる関係でいます。治療家として意識の高い仲間と一緒にいれる事は私にとって大きな財産となっています。その後は仲間と共にもっと患者さんを良くできないかと試行錯誤するなかで頭蓋骨調整やヒーリングといった新しい治療方法を取り入れていきました。ゆがみ治し整体だけでも大きな効果を実感していましたが、仲間と共に勉強しあえたおかげで自分の治療の幅が大きく広がったと感じています。
これから
振り返れば、治療家として白衣を着るようになって16年が過ぎました。本当にこの仕事に就いて良かったなと感じます。患者さんやスポーツ選手が良くなった時の喜びは何物にも代えがたいものがあります。
「腰の痛みが無くなった」、「肩が上がるようになってきた」
それだけで人生が変わります。心身の不調が改善されれば本当に嬉しいものです。もし抱えていた頭痛が無くなれば、その後の人生がどれほど違うでしょうか。私は「患者さんの人生を変えたい」という思いで治療にあたっています。これからも私自身も勉強を続け、未熟な自分と向き合いながら成長していきたいと思っています。そして、縁あって当院に来られた患者様には是非とも健康になって頂いて豊かで快活な人生を送って頂きたいと思っています。
ありかど整骨院
院長 有門 太一